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こんにちは。大野てるみです。

私のプロフィールに興味を持っていただいてありがとうございます。

今はマレーシアに住みながら、オンライン英語コーチングをしています。

このページでは、私がこれまでやってきたことと「英語」について、

  • 年商100億円のクライアントから「英語を教えてほしい」と言われるようになった理由
  • 英語の成績は下から2番目だった学生時代
  • 経営破綻からはじまった社会人生活
  • なぜ勉強嫌いの私でも英語がしゃべれるようになったのか?
  • 東洋と西洋をつなぐ架け橋になる

5つのポイントに絞ってお話していきます。

年商100億円のクライアントから「英語を教えてほしい」と言われるようになった理由

私は現在、マレーシアのクアラルンプールに住んで、6年目になります。

マレーシアに来たのは、2014年に日系ウェブマーケティング会社でスタートアップメンバーを募集していて、仕事のオファーをもらったことがきっかけです。

その前はアメリカで会社員をしていたのですが、

「何だかよくわからないけど面白そう。」

と、それまで一度も行ったことのないマレーシアにスーツケース1つで到着しました。

2016年からは海外に移住や進出をしたい人のサポートをするための会社を設立して、法人設立のサポートや移住の相談に乗ったり、

経営者の方向けにオーダーメイドで英語学習のカリキュラムを作ったり、

心理学や制約理論という理論を元にしたコーチングやコンサルティングをしています。

その日によっても変わりますが、一日のうちで2割〜3割は英語を使って生活していて、

・人と話すこと
・人をサポートすること

に情熱を感じています。

英語の成績は下から2番目だった学生時代

冒頭でも少しお話しましたが、私は高校を卒業するまでは全く英語が得意ではありませんでした。

「千葉の田舎から外の世界へ」

小学校まで片道徒歩4kmある千葉県の田舎で生まれ育ち、子供の頃はとにかく都会や外の世界への憧れを強く持っていて、大学は海外や外の世界と繋がっていそうな感じの国際学科を選びました。

しかし、これまで英語の勉強を全くせず、付属高校で大学入試もせずにエスカレーターで大学に入ったので、大学入学時では英語の成績は下から2番目。

英語で行われる授業では持ち物や宿題もわからず、

「これは何とかしなければ。」

と思って英語が上手な友達に、

「どうやって、英語が話せるようになったの?」

と聞いて回りました。

当時の同級生の英語が話せるトップ10人の8割が帰国子女。

どうやって英語が話せるようになったかを聞いても

「うーん、パパの仕事で小学校から高校までがニューヨークだったから」
「中学がシンガのインターだったから」
「高校でオーストラリアに行って大学は日本と思って帰ってきたところ」

とか、

内心、「え、じゃあ大した努力してないじゃん。」

とやるせない気持ちを抑えながら、英語が話せるようになるためには、「環境」が大きく影響していることに気がつきました。

「環境を変える。ロンドンへの一人旅」

英語が話せる友達に聞き回って、

「留学すれば英語が話せるようになりそうだ。」

ということがわかって、大学1年の夏休みにロンドンへ留学しました。

一人でどこかに旅するのも初めて、飛行機に乗るのも、初めて。

安いチケットで予約したので、香港経由だったのですが、経由便の意味も全く分からず、

「何でロンドンに行きたいのに一回香港に行くんだろう」と本気で思っていました。

英語もほとんど分からなかったので、バスに乗るにも、間違えて反対方向に乗ったり、授業の時間を間違えて行ったりしていました。

当時15歳、12歳、5歳の3人の子供がいたイギリス人のホストファミリーに色々なことを聞かれても、全く答えられずにいると、

「この子は英語がわからないんだ」

と食事の時間もあまり会話をふってもらえなくなり、

「Pardon?」と眉間にシワを寄せながら首を傾げられるのも怖かったので、初めての異国の地で、黙ってご飯を食べていました。

「2つのフレーズで、英語が通じない恐怖を克服する」

「このまま1ヶ月の留学生活が終わるのはまずい」

と感じながら、

沈黙に耐えられなかったのと、

「会話に入りたい」
「もっとこの人たちのことを知りたい」

と思い始めて、食事の時に、

何とか会話に入れるように

「それは何ですか?」
「私は○○が好きです。」

と2つのフレーズを英語で準備して、食卓に臨みました。

すると、お母さんが作ってくれた料理の話や娘たちの学校で流行っていることを教えてくれたりと、コミュニケーションが始まりました。

こうして、毎日食事の時に少しずつ自分の言いたいことや質問したいことを準備して、1ヶ月の留学が終わる頃には外国人と英語で話すことへの恐怖がなくなり、間違いだらけの文法や発音でも何とかコミュニケーションが成立するようになりました。

夏休みが終わり、日本の大学に戻ると、

これまで聞き取れなかった英語が少しずつ聞き取れるようになり、

わからないなりにも、発言をする回数が増えることによって、自分の変化に自信が持てるようになりました。

経営破綻からはじまった社会人生活

私のこれまでキャリアでは、

大きく分けて4つのターニングポイントを経て形成されてきました。

「入社した年に経営破綻した航空会社」

大学を卒業する頃には「日本人にしては英語が話せる」くらいの英語力が身についていました。

大学を卒業して就職活動の時期も

・何となく海外と繋がってそうで
・じーっと黙ってパソコンに向かって座っていなくて良さそうで
・英語を使う機会もありそう

という理由から航空会社に就職しました。

国際線のグランドスタッフとして、英語で接客をしたり、アナウンスをしたり、厳しい訓練を終えて、やっと仕事にも慣れてきた頃、働いていた航空会社が経営破綻しました。

「そんなことあるの?」と半信半疑の新人だった私を

脇目に、もっと取り乱していたのは、憧れの先輩たちでした。

・転職先がない
・スキルがない
・生活が不安だ

と、いつも頼もしく仕事を教えてくれていた先輩たちが休憩室で弱音を言っている姿に不安を感じ始めた私は、

「航空会社でやりたいと思っていた仕事ができるようになったら、また次にやりたいことを決めて、新しいことを始めよう。」

そんな風に思うようになりました。

「新たな情熱は、アメリカ x ビジネス x 英語

航空会社で働いて2年が経った頃、会社の福利厚生を使って、父と旅行に行くことにしました。

父に行きたいところを尋ねると、

「グランドキャニオンとロサンゼルスのおじさんの所に行こう」

ということで、父と2人でアメリカへ旅行に行きました。

空港におじさんが迎えに来てくれて、数日間、ロサンゼルス近郊のビーチやワイナリーを回っているうちに

「こんな場所に住めたら最高だな」と感じていました。

アメリカ旅行の最終日、空港へ向かう道の途中で、大学の敷地の横を通りかかると、リュックサックを背負った中年の日本人らしい男性が歩いていました。

気になった私は

「あの人はアメリカで何やってるの?」

とおじさん聞くと、

「多分、こっちに英語とかビジネスの勉強をしに来てる人じゃないかな。」

その瞬間、直感的に

「そういう体験をしてみたい。」

と情熱に火がついた感じがしました。

「アメリカに行くための’’英語の勉強’’」

旅行から戻り、航空会社で働く普段の日常に戻った後も、頭の中は会社を辞めてアメリカに行くことでいっぱいでした。

色々な情報を調べる中で、アメリカで勉強をするのには、

英語の試験で一定の点数を取らないといけないことと、

その点数を取得するために、何年も準備する必要があること。

という「情熱と紐づいた明確なゴール設定」ができました。

当時は能力が全く足りていなかったので、一番、敷居が低そうな学校を選んで、その学校の規程をクリアできるように、参考書や単語帳を買って「英語の勉強」をし始めました。

これまで、受験勉強をしてこなかったので、人生史上、この時期が一番机に向かって’「英語の勉強」をしていた思います。

約半年間、同じような問題を繰り返し解き続けて、日本語でもほとんど使わないような膨大な英単語をひたすら記憶し続けました。

「アメリカに行きたい」という欲望と情熱に紐づいていたので、何とかスレスレで英語の試験の点数は取ることができましたが、この当時に無理して覚えた膨大な使わなそうな英単語は

実際に留学してからもほとんど使うことはなく、今思い返してもほとんど記憶に残っていません。

「英語は使った分だけ上達する。アメリカ生活」

アメリカに留学してからは、日本人の友達をなるべく作らないようにしたり、外国人の友達と混ざって話すようにしたりして、初めの3ヶ月くらいはほとんど日本語を話しませんでした。

この期間に、毎日、使う使用頻度の高い英語やフレーズについて体に染み込んで来ました。

アメリカの学校を卒業してからは、せっかくのチャンスなので、アメリカの会社で働いてみたい。

と思ったのと、

とにかく色々な業界を見ることができる。

という理由でアメリカのITコンサル会社に就職しました。

会社に就職してからは、

「英語は話せて当たり前。」

というのと、

ネイティブで日本人の英語アクセントに慣れていないアメリカ人と仕事をする機会も多く、

ちょっとしたアクセントを聞き取ってもらえなかったり、発音を笑われたりすることも日常的にありました。

ビジネスや楽器の練習をしたことがある方は

通じる部分があるかもしれませんが、実際に英語を「使う」経験をすることが、英語上達の何よりもの特効薬であることをこの時期に認識しました。

「マレーシアで正しい英語は通じない!?」

アメリカでの会社の契約が終わりかけ、

・アメリカに残って同じ会社でもう3年働くか
・日本に帰るか
・どこか違う場所に行くか

という選択の時期が迫っていました。

その頃考えていたのは、

まだ、このまま日本に帰る気分もしないし、アメリカで同じ会社にもう3年いるのも何となく違う感じがする。

なるべく暖かい国で、シリコンバレーで見てきたような小規模のスタートアップみたいな環境で働いてみたい。

と思っていた矢先に、マレーシアで設立したばかりの日系のWebマーケティングで

「スタートアップメンバーを募集中」という

フェイスブックのメッセージが飛び込んできました。

その場ですぐに申込をして仕事が決まり、これまで行ったことことのないマレーシアでの生活が始まりました。

マレーシアに到着すると、

会社の社長さんとスタッフが空港まで迎えにきてくれて、マレーシア用のシムカードを買いに行きました。

そこで、

 

I’d like to get a sim card please.
(シムカードを買いたいのですが。)

 

と伝えたところ、全く店員さんに通じませんでした。

え、マレーシアは英語通じるって言ってたのに…

とテンパってると、後ろから社長さんが、

 

シム、シム、シム!

 

と代わりに注文してくれました。

数週間前までアメリカにいたので、

英語はむしろ、自信あり、くらいの気分でいたのですが、

「マレーシア、正しい英語通じないから。笑」

と、教えてもらって、

これまで、

「アメリカ英語=正しい」
「文法がや単語の使い方が間違っていない=正しい」
「英語=正しくないといけない」

と思っていた概念が崩れ去り、

英語には多様性があって、英語はコミュニケーションのツール

であることを認識しました。

「英語、教えて。」

マレーシアの日系会社で働き始めると、同僚は全員日本人で、英語を使って仕事をした経験がある人はいませんでした。

アメリカの会社員時代は

「英語が話せて当たり前、むしろネイティブじゃないの?」

の世界から

「英語が話せてすごい、助かるという環境に変化して、英語に関わる仕事、全て担当することになりました。

その中で、

英語教えて、海外移住や進出を助けてというリクエストをいただくようになり

・シンガポールに進出希望の政界アドバイザーさんの英語コーチ
・世界中に数十社の会社を持つオーナー経営者さんへの英語コーチ
・日本人IT経営者アメリカ、シリコンバレー視察ツアーのアテンド
・クライアントの奥様への移住環境サポートやワンポイント英会話レッスン
・エンターテイメント業界のオーナーさんに旅行先で優先度順英語レッスン

など、ひとつひとつの経験を重ねていくうちに、それぞれのお客様が見違えるほどに英語を上達していたり、なんとなく思い描いていた海外進出や海外移住が実現した。

という経験を一緒にすることに喜びを感じるようになりました。

なぜ勉強嫌いの私でも英語がしゃべれるようになったのか?

高校時代は成績下から2番目だった私が英語を話せるようになった

要因は2つです。

  • ①内的動機付け(自分の情熱に紐付いているか)
  • ②外的要因(環境、コーチ)

ひとつめは内的動機付け

(自分の情熱に紐付いているか)

例えば私のこれまでの内的動機付けは

・早くこの閉ざされた田舎から出て広い外の世界を見たい
・人のことを知りたい、会話の中に入りたい
・どこに行っても自由に働いたり遊んだりできるようになりたい
・何としてでも、会社を辞めてアメリカに行きたい

などの欲求が紐づいていました。

だから、高校まではほとんど興味がなかった英語をツールとして習得することができました。

今では、心理学やコーチングについてメンターから指導を受けるようになり、才能や内的な動機付けについて、人それぞれ全く違い、英語を習得する時にも、

クライアントの情熱や才能を認識することによって、

大幅なショートカットをして成功体験を積んでもらえるようになりました。

2つめの外的要因については私の場合、海外に数年にわたって滞在して、なるべく日本語を話さない。

という環境作りをしてきましたが、

海外に長期間住んでいても、英語を話さない人がいるように、

「英語を話せるようになるための環境」

を作ることが重要です。

現在私が行っているオンライン英語コーチングコースでは

留学をしたりせずに、オンラインで英語を習得する最短の「環境」を構築しています。

東洋と西洋をつなぐ架け橋になる

これまでの人生を「英語、海外」という軸でお話してきましたが、海外を飛び回ったり、英語を話せるようになったり、人が英語を話せるようにコーチをしたり、

「どこを目指しているんですか?」

という質問をいただくことがあります。

私は今までもこれからも、

「誰かの変化に立ち会うことや、その調整やサポートすること」

に情熱を感じています。

具体的には

・英語が苦手、勉強も全然できないと言っている人が自信を持って英語が話せるようになって、海外を自由に行き来して、生活や仕事を楽しんでいる。
・日本の素晴らしい人やコンテンツを海外に発信するサポートをする。
・友人や家族ぐるみで海外ツアーや旅行をする。
・国内外の教育や健康についての情報をシェアしたりできる。

そんな未来を実現することをイメージしながら、

移住のサポートや英語コーチをしています。

 

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